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大阪地方裁判所 昭和35年(ワ)3516号 判決

原告 権並実太郎

被告 国

訴訟代理人 山田二郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「被告は原告に対し金三、三六〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三五年一〇月一日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求め、その請求原因を次のとおり述べた。

一、原告は、畑の芋を二貫目盗み、昭和二〇年一〇月六日大阪地方裁判所堺支部において、窃盗罪により懲役一年の判決を言渡され、原告が控訴権を放棄したので、右判決は同月八日に確定し、大阪刑務所において、同二〇年一〇月八日から同二一年八月一〇日まで服役し、以後約二ケ月間の仮釈放を貰つて、同刑務所を出所したものである。ところで、原告は、右刑務所に入所中の昭和二〇年一二月二四日午前九時四〇分頃同所内第四工場綿打場で綿打作業に従事中、綿打機械が故障したので(機械は回転していたが、打替えた綿が出て来なくなつたので)、機械の運転中綿打機から出てくる綿を折りたたみ、紙と縄で包装する仕事をしていた原告は、仕事が出来なくなり、竹ベラで故障機械の動いている歯車やローラーの間の綿屑を掃除していたところ、何分、原告は、綿打作業は初めてのこととて、未熟のため、誤つて着用していた囚人服の右袖を右機械のローラーに喰われ、右上膊切断兼左腋窩部挫創の傷害を受け、失神した。当時、右作業の刑務担当官は、野口という人で、作業は囚人の中から選ばれた班長が作業指導に当り、特務と書いた腕章をつけた先輩囚人が作業員を見張り、怠けている囚人を叱つて廻つているという状況であつた。

二、原告は、綿打作業を事故の日まで一五日位行つたのみで、殆んど無経験だつたし、右綿打機は毎日二回は故障していたもので、かかる場合、当然囚人を強制労働に服せしめている刑務所責任者ないし刑務所担当官は、特に機械故障の場合には、就業囚人の危険防止に注意する義務があるし、且つ右のように故障の修理の際には、色々の危害も予想されるので、連日事故を起すような機械は、完全に修理してから作業場に据えつけるなど、機械設備についての注意をする義務があるものといわねばならない。

(1)  以上の如く、右刑務所責任者ないし作業担当官の不注意により、原告が前記傷害を受けたもので、右刑務所青任者らはいずれも国家の官吏であつて、いわば国の被用者であるから、その使用者である国は、原告に対し、民法七一五条により、原告の受けた傷害による損害を賠償する義務がある。

(2)  仮に、右主張が理由なしとするも、前記の通り、工場の機械は、毎白一、二回は故障していたものであり、且つ本件事故は右機械の故障中に生じたものである。国は、刑務所に強制収容されている囚人を作業に従事させるに当り、これに使用する刑務所の施設の一部としての工作物たる機械の設置並に保存につき、充分注意しなければならない義務があるところ、前記の通り、右機械には、その設置並に保存に瑕疵があつたので、そのため、原告は前記傷害を受けたのであるから、国は、右工作物の所有者として(或は占有者として)、原告に対し、民法七一七条により、前記傷害により生じた損害を賠償する義務がある。

(3)  仮に、以上の主張が認められないとしても、原告は、昭和二三年四月頃、堺市日置町在住の亡野々田為吉という司法保護委員を通じて、国の機関である大阪刑務所並に大阪地方検察庁に対し、原告の前記傷害に関する救済手続などを教えて貰うよう交渉してもらつたのであるが、およそ、法律的知識を全く有していない原告が、その救済手続の教えを乞うような場合には、右国家機関である刑務所の責任者や法律の専門家である検察庁の責任者は、その時における可能な一切の救済方法を教示する国家から課せられた職務上の義務があるといわねばならないところ、前記刑務所並に検察庁の各責任者は、右義務を尽さず、結局事故の時から三年以上を経過して、原告をして右救済の途をふさがしめるに至つたものであるから、これは、国の公権力を行使する公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に原告に損害を与えたものであり、国は、原告に対し、国家賠償法一条により、前記損害を賠償する義務がある。

三、原告は、これによつて次の通りの損害を受けたものである。

原告は、服役前、沿岸仲仕をして、主に鉄材を扱い、一日の収入は約一〇円で、月収一八〇円程度であつた。従つで、戦後の経済事情を考えると、比較的物価の安定した昭和二四年以降同三五年までの一ケ月の同種人夫の給料は約月額最低二〇、〇〇〇円(原告のその月の生活費を控除した残額)は得ているのであるから、同二四年から同三五年末までの間に、若し、原告が負傷せずに働いていたならば、少くとも合計金二、八八〇、〇〇〇円を得ていた筈である。

また、原告は現在五一才であるから、少くとも後一〇年は労働に従事出来るから、この間の得べかりし利益も相当額に達する。そして、前記事故によつて片腕を失い、働くにも職のない不具者となつた原告の精神的損害賠償額は、金一、〇〇〇、〇〇〇円と算定するのが相当である。

よつて、原告は、右金二、八八〇、〇〇〇円及び将来の得べかりし利益に相当す与損害額並びに慰籍料金一、〇〇〇、〇〇〇円の内、物的損害賠償額金二、三六〇、〇〇〇円(右金二、八八〇、〇〇〇円の内金)並に精神的慰籍料金一、〇〇〇、〇〇〇円の合計金三、三六〇、〇〇〇円及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和三五年一〇月一日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を本訴において請求するものである。

被告の時効による消滅の抗弁に対し、右抗弁を否認する。原告は、当時民法七一五条に規定する被用者たる刑務所長ないし作業担当官の使用者が実際に国であるという関係を知らなかつたので、昭和三四年八月中旬頃、大阪市立図書館天王寺分館で研究中、始めて、右同人らの使用者が国であることを知つたもので、同条にいわゆる被害者の使用者を知つた時とは、同三四年八月であるから、未だ三年を経過していない、と述べた。

〈証拠 省略〉

被告指定代理入は、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張事実中一の事実は認め、三の損害金算定の基礎となつた事実は不知、その余については否認する、と述べ、なお次のとおり主張した。

一、本件傷害は、専ら原告の不注意に起因したものである。

二、原告主張の傷害は懲役刑の執行中に受傷したもので、いわゆる国の公権力の行使について受傷したものであるが、その発生時期は、現行憲法施行前であり、旧憲法下においては、国の公権力の行使に関して発生した損害については私経済関係を規整する民法は、適用ないし準用されなかつたのであり、現行憲法の施行前に発生した損害について、国は特別の規定のないかぎり賠償青任はなく、更に国家賠償法は、その施行前のものには適用がないから、被告国は、原告の主張について賠償責任を負担するいわれがない。

三、大阪地方検察庁及び大阪刑務所職員には、原告主張の如き救済手続を教える法律上の義務はない。従つて、原告主張のような損害は、右公務員の職務行為とは関係ないものである。

四、民法七一七条にいう「土地の工作物」とは、建物、橋、堤防などのように、土地に接着して建造されたものをいうのであつて、工場内に据えつけられた本件綿打機は右「土地の工作物」に当らない。従つて、民法七一七条に基ずく原告の請求は、主張自体失当である。

五、仮に、原告が、主張のような損害賠償請求権を取得していたとしても、原告は、遅くとも昭和二一年八月一〇日の刑務所出所当時本件において違法とされる原因に基く損害の発生事実と加害者を知つていた(ここに加害者を知るというのは被告国に責任があることを知ることでなく、直接の不法行為者が大阪刑務所看守野口であることを知ること、また、被告国が設置し管理している綿打機のかしで受傷したことを知ることである。)から、その損害賠償請求権は時効によつてその時より三年の経過により消滅している、被告は右時効を援用する。

〈証拠 省略〉

理由

一、原告主張事実中一の事実については当事者間に争がない。

二、先づ、原告の請求原因二の(1) について判断する。

原告は、右綿打機は、毎日一回ないし二回は故障していたもので、刑務所責任者ないし刑務所担当官は、特に機械故障の場合には、就業囚人の危険防止に注意する義務があつたにも拘らず注意を怠つたゝめに原告が傷害を受けたものである旨主張するのであるが、右綿打機が縷々故障をおこしたことを認めるに足る証拠はなく、成立に争のない検乙第一号証ないし第三号証に証入天野正の証言、原告本人尋問の結果を合せ考えれば、本件綿打機は構造が比較的簡単であつて、原告が命ぜられていた綿打機から出てくる綿を折りたゝみ、紙と縄で包装する仕事には、右綿打機が稼働している時と故障している時とを問はず、特に何らの危険はなかつたと認められるのであつて、本件事故は、原告が、自己の任務以外の竹ベラで故障機械の動いている歯車やローラーの間の綿屑を掃除していて着衣を右機械のローラーに喰われたことにより発生したものであつて、むしろ原告の過失によるものというべく、刑務所側に不注意があつたことを認めるに足る証拠はない。のみならず、本件傷害の発生時期は、昭和二〇年一二月二四日であつて新憲法の施行前であるところ、旧憲法下においては、国の公権力の行使について発生した損害については、私経済関係を規整する民法は適用ないし準用されず、また、現行憲法の施行前に発生した損害について、国は特別の規定(たとえば河川法六一条)のない限り、賠償責任を負わないと解するのが相当であるから、被告国は原告主張について賠償責任を負担するいわれはなく、従つて、原告主張事実中二の(1) はこれを認め難い。

三、次に、原告の請求原因二の(2) について判断する。

民法七一七条にいう「土地の工作物」とは、建物、橋、堤防などのように土地に接着して建造されたものをいい、工場内に据えつけられた機械は含まれないと解せられておるが、仮に一歩を譲つて、工場内の機械も実質的には建物と一体をなしているのであるから、同条にいう「土地の工作物」に該ると解するとしても、前記のとおり、機械から出て来る綿を折りたゝみ、紙と縄で包装する原告の仕事自体には、右綿打機の故障によつて何らの危険もなかつたのに、原告は自己の任務以外のことに手を出し、不注意により傷害を受けたのであるから、機械の故障により、それがために原告が傷害を受けたということはできず、すなわち機械の故障と傷害との間に相当な因果関係があるとは認められないので、いずれにしても、原告の民法七一七条による主張は認容することができない。

四、終りに、原告の請求原因二の(3) について判断する。

原告本人尋問の結果によれば、原告は、刑務所を出所した直後刑務所職員に対し、また昭和三二年頃司法保護委員の野々田為吉に付添われて、大阪地方検察庁の職員に対し、本件傷害についてもう少し何とかしてもらえないだろうか、と相談に行つたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はないけれども、公務員の職員は、それぞれ法令により定められており、刑務所職員や検察庁職員に原告の主張するような救済手続を教示する職責は法令上存在せず、従つて同人らにそのような法律上の義務はないのであるから、そのような義務の存在を前提とする原告の主張は、前提を欠き理由のないことは明らかである。

五、してみれば、原告の請求は、その余の判断を俟つまでもなく失当として棄却さるべきものであるから、その余の判断を省略して、原告の請求を棄却することゝし、訴訟費用の負担につき民訴八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 入江菊之助 中平健吉 中川敏雄)

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